Warda Al Jazairia -アルジェリアの薔薇-

Warda Al Jazairia -アルジェリアの薔薇-

1940年パリでアルジェリア人の父とレバノン人の母の間に生まれたWarda(ワルダ)は、11歳でカルチェラタンにある父親の経営するナイトクラブTam-Tamで歌いはじめます。アルジェリアの独立戦争がはじまり、父、兄、姉の後見のもと、Wardaはアラブ諸国でコンサートを行い、愛国歌を歌います。そうして収益をFLNに寄付しました。

FairouzやOum Kalthoumもそうですが、Wardaも植民地政策から脱却したアラブの連帯と団結のシンボルであり、人々にとって一歌手という枠を超えた存在だったのでしょう。

そうした活動により、フランスから出なければならなくなり、ラバトそしてベイルートに身を寄せます。アルジェリア独立後は祖国に帰り、結婚をして当時の夫の意向により歌手活動を行っていませんでした。1972年Houari Boumediene大統領から独立10周年記念で歌うように頼まれ、エジプトのオーケストラと一緒に歌いましたが、その活動により夫から離婚を要求されます。そうして歌手活動に専念をする決意をしました。

エジプトに渡り、作曲家Baligh Hamdiと出会い、結婚をしました。また、Mohammed Abdel Wahab、 Ryadh Soumbati,、Hilmi Bakr、Sayed Mekawi といった著名な作曲家達と仕事をして大成功をおさめます。映画にも出演しました。

1979年にはパリのオランピアでリサイタルを行っています。

300曲以上歌い、代表曲にはEl ouyoun essoud、khalik hena、Dendana、Fi Youm ou leila、Lola el malama、Batwannes bik、Harramt ahibbak、Wahashtouni、Laabat el ayam、Kelmat itab、Andah alik、Awqati btehlaw など他にも多数あります。

2012年の5月にエジプトでお亡くなりになっています。大きく取り上げられていたのでよく覚えています。

フランスで国際女性デーを記念して、様々なジャンルのダンサーによるショーに出演をしたことがありました。その時のテーマが著名な女性へのオマージュだったのですが、すぐにWardaにしました。アルジェリア系の方々が多いことと、Wardaが歌い始めたのもパリだったからです。

参考サイト https://www.jesuismort.com/tombe/warda-al-jazairia#biographie

El Ouyoun el soud ↓

Ana leya min gherak ↓ 国際女性デーのイベントで 

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